神社を回っていて、「猿田彦神社」にそう頻繁に行き当たった記憶はない。稲荷や八幡に比べると、正直かなり地味な部類だと思っていた。
ところが調べてみると、この神様を祀る信仰は全国二千社規模らしい。え、そんなに、と驚いた。
天孫降臨で道案内をした神様
猿田彦大神は、『古事記』では主に「猿田毘古神」と表記される国津神である。国津神とは、地上世界に属する神々のことだ。
天照大御神の孫・邇邇芸命が、高天原から地上へ降りようとする場面で登場する。天と地の分かれ道である「天の八衢(あめのやちまた)」に立っていたのが、この神だった。
天宇受売命に正体を尋ねられると、天孫を迎えるために来たのだと明かし、一行を地上まで先導する。
この神話から、導きの神、道開きの神として、旅行や交通の安全、新しいことを始める際の守護神として信仰されている。
姿の描写が、とにかく強烈
『古事記』の描写がまた強烈である。鼻の長さは七咫(約126センチ)、背丈は七尺(約210センチ)。目は八咫鏡のように丸く輝き、ホオズキのように赤く照り光っていたという。
この長い鼻と輝く目という特徴から、後世では天狗のイメージと結びつけて語られることもある。
正直に言うと、この特徴をそのままキャラクター画像にすると、わりとキノピオに寄ってしまう問題がある(笑)
史料に忠実であろうとするほど、キャラクターとしての格好よさとの両立が難しい神様だった。

道案内で終わらない、わりと壮大な後日談がある
猿田彦大神は「道案内をして退場」ではない。天孫を送り届けたあと、天宇受売命によって伊勢の方まで送り届けられる。
その後、阿邪訶というところで漁をしていたとき、比良夫貝に手を挟まれて海に沈んでしまうという、神様にしてはずいぶん締まらない最期を迎える(笑)
この最期の場面がまた面白い。沈んだ状態、海中を漂った状態、泡が立った状態、それぞれから底度久御魂、都夫多都御魂、阿和佐久御魂という三柱の神が生まれたと語られる。
この三柱は現在、三重県松阪市の阿射加神社に祀られている。道案内から始まり、海での最期まで、猿田彦大神は意外なほどまとまった物語を持っていた。
猿田彦信仰は、実は全国二千社規模だった
猿田彦大神を祀る神社の総本宮とされるのが、三重県鈴鹿市の椿大神社である。椿大神社は自ら「猿田彦大神を祀る全国二千余社の本宮」と称している。
「猿田彦神社って、そんなに見かけないのに二千社規模なのか」というギャップがある。これは「猿田彦神社」という社名だけで広がった信仰ではないことが理由の一つらしい。
猿田彦大神は、各地で道祖神や塞の神、庚申信仰などと結びつきながら信仰が広がっていったと考えられている。
つまり、猿田彦大神を祀る神社と「猿田彦神社」という名前の神社は、必ずしもイコールではない。
稲荷や八幡なら、社名を見るだけで信仰の広がりがある程度伝わる。一方、猿田彦信仰は一社ずつ見ているだけでは、その規模がまったく見えてこない。
一社ずつでは見えない神社同士の横のつながりを見せられるところに、信仰でくくって神社を眺める面白さがあるのだと、あらためて思った。
代表的な神社をいくつか調べてみたのだが、これがまた別の発見につながった。その話はまた次に書く。

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