三貴子。この漢字三文字、読めるだろうか。
普通に読めば「さんきし」だろう。実際、その読み方も使われている。ところが古典としては、これを「みはしらのうずのみこ」と読む。
三柱、はまだいい。問題は「貴」を「うず」と読むところだ。……普通、「貴」を「うず」とは読まない(笑)
「うず」はもともと、尊い・立派な・かけがえのないものを指す古語らしい。三柱の、貴い(うずの)、御子。そう分解すると、一応筋は通る。
ただこの記事で本当に気になったのは、読み方よりも中身の方だった。三貴子について調べていたら、もっと大きな疑問にぶつかった。
三貴子は、日本神話でもトップクラスの三柱のはず
三貴子とは、天照大御神・月読命・須佐之男命の三柱を指す。伊邪那岐命が黄泉の国から戻り、禊をしたときに生まれた神々だ。
天照大御神は高天原を、月読命は夜之食国を、須佐之男命は海原を治めるよう、それぞれ命じられる。
これだけ見れば、日本神話でも最高クラスの豪華な三柱である。ところがふと気づいた。宗像三女神の「宗像信仰」や、住吉三神の「住吉信仰」のような、三柱セットの「三貴子信仰」というものを、あまり聞いたことがない。
神話上の格がこれほど高いのに、なぜだろう。
三柱は、生まれた直後からほぼ別行動
調べてみると、三貴子が三柱そろって行動する神話は、ほとんど見当たらなかった。
天照大御神と須佐之男命は、誓約や須佐之男の乱暴、天岩戸隠れなど、強い関わりを持つ。天照大御神と月読命は、『日本書紀』のある伝えでは、月夜見尊が保食神(うけもちのかみ)を殺してしまい、天照大御神から嫌われる話が残る。
一方、月読命と須佐之男命の間には、記紀を見る限り目立った関係がない。
三貴子は、結成直後からほぼソロ活動をしている。誕生時の「セット感」は強いのに、その後の物語ではあっという間にバラバラになる。
「仲が悪いから」だけでは説明できない
天照大御神と須佐之男命の対立は有名だ。だから「仲が悪かったから、一緒に祀られなかったのでは」と考えたくなる。
ただ、これを単純な因果関係にするのは危うい気がする。むしろ、最初からそれぞれ別の領域・役割を担当する神として生まれ、その後の祭祀もそれぞれ別方向に育っていった、と考える方が自然に思える。
そもそも「三柱セット」を、誰も必要としなかったのでは
ここで一番大きな仮説にたどり着いた。
現代の感覚なら、天照・月読・須佐之男と聞けば「最強パーティーじゃないか」となる。でも古代・中世の共同体が抱えていた困りごとは、もっと具体的だったはずだ。
疫病を何とかしてほしい。豊作になってほしい。海で遭難したくない。商売を繁盛させたい。
必要だったのは「最高ランクの神様」より、「今困っていることに対応してくれる神様」だったのではないか。三柱をまとめて拝む必要がなければ、それぞれ必要な神を別々に拝めばいい。
「全部盛り」は、信仰としてはむしろ分かりにくい
三貴子をまとめれば、太陽・月・海・国家安泰・五穀豊穣・厄除け・武運と、何でも揃うように見える。ご利益全部乗せで最強、という感じすらする。
ところが「この三柱には、具体的に何をお願いすればいいのか」となると、急に輪郭がぼやける。
御神徳の幅が広いことと、信仰としての輪郭がはっきりしていることは、どうやら別の話らしい。
他にも「神話ではすごいのに信仰は地味」な神々がいる
三貴子だけの話ではなかった。天之御中主神・高御産巣日神・神産巣日神は、まとめて「造化三神」と呼ばれる、天地開闢の冒頭に登場する根源的な神々だ。
とくに天之御中主神は、名前だけ見れば「天界のど真ん中を治める最高神」というラスボス感がある。ところが物語では、登場した直後に身を隠し、その後ほとんど表舞台に出てこない。
後世には妙見信仰などと結びつけて語られることもあるが、古代から造化三神を中心とした巨大な全国信仰が広がったわけではないようだ。
月読命も似ている。三貴子の一柱として月を担当する重要な神のはずなのに、記紀での出番はかなり少なく、天照大御神や須佐之男命ほど目立つ信仰圏を持たない。
月そのものは、暦や農耕、潮の満ち引きなど、古代の生活に欠かせないものだったはずだ。だから「月が重要でなかった」わけではない。「月は重要だったのに、月読命という神への信仰はなぜ大きくならなかったのか」の方が、たぶん正しい問いなのだと思う。
逆に、神話では脇役なのに全国区になった神もいる
宇迦之御魂神は、記紀のストーリーの中では、お世辞にも主人公級とは言えない。それでも稲荷信仰は、食物・農耕・商売繁盛という、人々の生活にとても近い御神徳と結びつき、全国に広がった。
祇園・八坂信仰も同じだ。疫病は古代・中世社会にとって、とにかく切実な問題だった。そこに応えたことが、信仰の広がりにつながったように見える。
八幡神も、天地開闢から登場する原初神ではない。それでも国家鎮護、武家守護、地域鎮守と、時代ごとに求められる役割を変えながら、全国へ広がっていった。
神話でどれだけ目立つかと、信仰がどれだけ広がるかは、どうやら別の話らしい。
「偉い神」と「頼られる神」は、必ずしも一致しない
天照大御神は皇祖神として、国家祭祀の頂点に立つ神だ。一方、人々の日常には、農作物や商売、疫病、航海といった、もっと身近で切実な問題がある。
国家にとって最高クラスの神と、日々の暮らしの中で頼られる神は、必ずしも同じではない。
もちろん、伊勢信仰が民間でまったく流行らなかったわけではない。神明社は全国に広がったし、近世には伊勢参りそのものが庶民の一大ブームになっている。だから「どちらが偉いか」ではなく、「求められ方がそもそも違う」というくらいの言い方が正確だと思う。
信仰が大きくなるには、「需要」が必要だったのかもしれない
ここまでを自分なりに整理してみると、信仰が大きく育つには、だいたい次の3つが関わっていそうだ。学術的な定説ではなく、あくまで自分なりの整理だが。
需要:人々が何に困っているか(豊作、疫病退散、商売繁盛、武運、海上安全)
伝播ネットワーク:誰がその信仰を広げるか(国家、氏族、武士、商人、修験者、神職、勧請)
歴史的契機:なぜその時代に必要とされたか(疫病、戦乱、商業発展、都市化、交通網の発達)
ちなみに勧請とは、神様の御分霊を別の場所へお迎えして祀ることをいう。この3つが重なるほど、信仰は大きな広がりを持ったのではないかと思う。
三貴子に戻ると
三貴子は、神話上では間違いなく最高級の神々だった。でも人々にとって、三柱をセットで祀る具体的な理由は、それほど強くなかったのかもしれない。
天照は天照として、須佐之男は須佐之男として、月読は月読として、それぞれ別の文脈で祀られる方が実情に合っていた。
三貴子は、「信仰のためのセット」というより、「世界の成り立ちを説明するためのセット」だったのだろう。
神様の格は、信仰の人気をそのまま保証してくれるわけではないらしい。神様の世界も、偉さより「何をしてくれるのか」の方が、案外大事だったのかもしれない。


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