日本が好きで、日本固有の宗教ってなんだろうと思って神道を調べ始めた。
調べてみると面白いことに、神道には仏教やキリスト教のような経典も教義もない。あるのは古事記・日本書紀という、言ってしまえばただの「物語」だけだ。強いて言うなら「万物を祈りの対象とし、すべてを大切にする」というのが神道の姿勢なんだな、と肌で感じるようになった。
それを一番実感するのが、日本人特有の「侘び寂び」の感覚だと思う。江戸時代に作られた狛犬に生えた苔、朽ちかけた鳥居——それを美しいと心から思えて、その感覚は日本人としての何かに共感している気がして、なぜか好きだ。
誰も来ないような山奥の神社は、行くだけで心が洗われる感じがして、特に神秘的で、本当に神様がいそうな気がしてくる。
侘び寂びの何にそこまで惹かれるのか、正直いまだによくわからない。日光東照宮のような豪華絢爛な神社もいいけれど、神明造や大社造りといった古い形式の、簡素なのにどこか荘厳な神社も、なんかいいなと思う。
御朱印を集め始めた理由
そんな興味から神社を巡るようになったが、最初に御朱印をもらったのは熱田神宮だった。なぜそこに行ったのか、今でもよくわからない。旅行の途中で、なんとなく呼ばれたような気がしたのだ。
思えば実家の近くの天疫神社では、三が日になると家族総出で大祓詞を読んでもらう習慣があった。あれも、今思えば何か意味があったのかもしれない。
そこから御朱印帳の白紙のページを見ているうちに、単純に「これを埋めたい」という気持ちが湧いてきた。次はどんな御朱印がもらえるんだろう、という好奇心も手伝って、気づけば神社を巡っては御朱印を集めるようになっていた。もとからの収集癖が発動した瞬間だったと思う。
御朱印帳自体は、神社用しか作っていない。お寺には宗派があり、そちらまで集め始めたら収拾がつかなくなるとわかっていたからだ(笑)。
とはいえ神社だけに絞っても、回っているうちに「〇〇八幡宮」「〇〇稲荷神社」のように同じ系統の神社にたびたび行き当たるようになり、1冊の御朱印帳の中に全然違う信仰の系統が混ざっていることが気になり始めた。今流行りの一宮巡りの御朱印帳に、二宮や三宮、全く関係ない神社の御朱印まで混ざっているような、あの座りの悪さに近い感覚だ。それで、信仰・系統ごとに御朱印帳を分けるようになっていった。
社格に気づいたのがいつだったかは正確には覚えていないが、おそらく信仰別に分けた後だったと思う。気になりすぎて、信仰別の御朱印帳の端に、社格順で神社の名前をペンで書き並べていったところ、まだ行っていない神社の分だけ歯抜けになり、なんとも歪な御朱印帳が出来上がった(笑)。
しかも後になって、社格は時代によって変わることを知ってしまい、今ではきれいにまとまらなくなっている……。それでも、歯抜けだったページが御朱印で埋まる瞬間の快感は、何度味わっても格別だ。
アプリを作った理由
「神代巡礼」というアプリを作り始めたのは、割と個人的な理由からだ。神社に行ったとき御朱印帳を忘れていて直書きしてもらえなかったことがあって、それが無念だった(笑)。
それなら書置きの御朱印を写真に撮ってアプリに保存した方が、満足できるなと思ったのが最初のきっかけ。
でも作ろうと調べているうちに、他の御朱印アプリは由緒だけが載っていて、なんだか物足りないと感じた。由緒を読んでも、結局それだけでは意味がよくわからなくて、Wikipediaや図書館で詳しく調べることになる。実はこの「自力で調べる」過程が一番楽しかった。
調べているうちに、信仰の系統や、実在した偉人が神様として祀られていることを知り、そこに一本の「流れ」を感じた。これが私にとっての聖地巡礼の始まりだった。
だから「神代巡礼」は、由緒を読んで終わりにせず、その先の物語や繋がりまで辿れるアプリにしたいと思って作っている。
そんな性分だったからこそ、今は御朱印も由緒も信仰の繋がりも、全部まとめて記録できるアプリを作っている。歯抜けのページを埋めていた感覚は、今もアプリ作りの原動力になっている気がする。
このブログについて
ここでは、神道や天皇について調べていて面白かったことと、アプリを開発しながら思ったことを、特に整理せず雑多に書いていこうと思う。
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